BS多村仁とSB寺原隼人が交換トレード

横浜・多村ソフトバンクへ 寺原と交換

横浜\(^o^)/オワタ
普通に考えればもう一人位それなりの投手(星野、山村、田之上、山田、篠原etc)付けてもらえるレベルなんですが、門倉の件を利用してSBが上手く立ち回ったんでしょうねえ。

ただ、多村もスペック通りやれば物凄い活躍なんですが、スペック通り働けた例がない(ノ∀`)


<中学時代>
体育祭のリレーで転倒、靱帯を痛めて救急車で搬送されたらしい。

<高校時代1>
プロ野球選手の甲子園伝説 1994年春の特集。以下抜粋。
(前略)1年前のセンバツ開会式の日は病院のベッドの上にいた。
ベンチ入りが決まっていたにもかかわらず、成長痛に見舞われ左ひざを痛めて手術。
「みんながうらやましいし、悔しいし、自分で自分を責めて泣いてましたね」
渡辺元智監督の計らいで甲子園球場に呼ばれ、外野の芝の上を歩いただけの甲子園だった。(後略)

<高校時代2>
以下プロ野球aiに載ってた記事の一部を抜粋↓
「僕自身より、チームが勝てばいい。もちろん、一番の目標は優勝です。
98年に優勝したときは、僕、手術して病院にいましたから」
さらにさかのぼれば高3の夏、横浜高の五番バッターとして県大会優勝を
果たした多村は、胴上げに加わろうとセンターから走っていく途中、
足がつってしまい、歓喜の輪に間に合わなかった。
「みんなが校歌を歌っているのに、僕だけマウンドのところでうずくまって
いるんです。しかもそれが、しっかりVTRに残ってる(笑)。今度こそ
あの輪に入りたい、優勝したときにフィールドに立っていたいですよ」

<2003>
5/14 左手親指のじん帯断裂で二軍落ち
8/ 5 腰痛で途中交代
8/11 左手首痛でスタメン落ち
8/22 脱水症状
9/15 肩痛でスタメン落ち
9/23 発熱でスタメン落ち
9/25 スタメン復帰、死球で途中交代
10/6 風邪でスタメン落ち。そのままスタメンに戻ることなく全日程が終了

<2004>
2/27 ポスター撮影中にジャンプして右足関節捻挫
4/30 試合中、突然カゼをひいて退場→診療所で点滴
5/ 3 キャッチボールでぎっくり腰、登録抹消
6/ 5 フェンスに激突でセルフエルボー、途中交代
6/24 前日の試合で空振りした際に肩を痛めスタメン落ち
8/11 試合前の練習中に腰を痛めてスタメン落ち
8/28 ファインプレーをした際に膝を強打し途中交代
9/19 ストライキの際の握手会で左掌の炎症し、その後2日連続スタメン落ち

<2005>
1/ 1 寒川神社に初詣に行き家族の健康などを祈願するが、自分が風邪をひいてしまう。
2/11 沖縄で野球教室を開き、肩に野球バックを掛けたまま何百人にサインした結果、左肩が内出血。
3/30 全試合出場を目標に掲げていたが、開幕直前にインフルエンザに罹り緊急入院。開幕三連戦の出場を断念。
4/24 サードゴロを打ちヘッスラ敢行するもアウト。右肩負傷で途中交代。
5/6〜7 GW中からの発熱を押して出場するも無理がたたり気管支炎に悪化し、欠場。
5/20 センターからバックホームの際、右肘を痛める。
6/4〜5 痛めた右肘の影響か、DHとして出場。
6/14 自打球を右足甲に当て途中交代。
6/21〜 疲労をおして出場を続けるも、靴紐を結ぼうとした際にぎっくり腰を発症し、自宅休養。翌日登録抹消。
6/29 横須賀の練習場へ向かう途中、愛車が雨でスリップし、側壁に衝突。
   エアバッグの衝撃で左顔面と左肩を打撲。自分で119番し、検査のため緊急入院。翌日のスポーツ紙の一面を飾る。
   左肩関節挫傷・左外傷性複視・網膜震盪症と診断され、1ヶ月間棒に振る。
9/28 6月におこした事故の後遺症が出ていないかを調べる為、血管造影検査を受ける。
   異常は無かったが、検査後に体調不良を訴え欠場。

<2006>
4/4 試合前に「食わず嫌い王決定戦」収録で荒川静香と対戦。大嫌いなアンチョビパスタを食べさせられる。
4/7 耳にデキモノ(炎症性アテローム)で39度の高熱。一打席だけ試合に出るが途中交代
4/9 4/8に出塁した際、帰塁時に首・肩を痛め、代打のみの出場


怪我ネタに関しては球界一ですが(爆)、広角に大きいのが打てるバッティングに加え、走力もあり、肩も強く、守備も上手い全て揃ったタイプです。
適度に休ませて使えば十分な効果が期待できると思います。

という事で、いち早くヤフードームのバリアフリー化を推し進めてくださいm(_ _)m